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歴史と由来

「西遊旅譚(1788)」に描かれた大山車。

「四日市祭」は、江戸時代の初期から伝わるとされる当社の例大祭です。始まった時期、由来ともにはっきりとしたことはわかっていませんが、年代を示す資料としては、戦災で焼失した北町の大山車の幣束の裏に「延宝七年(1697)已未七月」とあったとされるのが最も古く、浜田・四日市の町の成り立ちと、儀式において浜田が優先する祭礼の形式から考証すると、浜田が四日市よりもまだ優位であった江戸時代初期には、すでに存在していたものと推測されています。また、江戸時代の文献には「四日市諏訪明神祭」「四日市諏訪祭」などと記されていますが、明治になると「四日市祭」という名が定着したようです。
 


町衆の心意気

さまざまなネリなどが描かれた明治33(1900)年発行の版画。
祭礼は「祭典」と、西町の氏子衆による御旅所への「神輿の渡御」、「大山車」4輌による「花納めと舞獅子」、各氏子町の「(ネリ)」(戦前は26ヶ 町)の奉納などからなり、祭礼日は江戸時代には7月27日、明治の改暦でひと月遅れの8月となり、明治25年頃からは9月27日にほぼ固定され、25日からの3日間にわたり盛大に挙行されました。
ご神徳への畏敬を表し奉納した「」(風流)は、進取と自由な気風の四日市町衆が、氏子町ごとに競って趣向を凝らし、造り物の行列、時代行列、からくり人形山車、勇壮な船山車などさまざまな形態をしたものが並び、いわば町内対抗の仮装行列大会という趣となりました。
その趣向を一目見ようと近郷近在から多くの見物客が集まり、“東海の三大祭り”とまで称されるにぎやかな祭りとして知られました。
 


戦後の復興と衰退

戦後に新造された袋町の「浦島太郎」。現在は碧南市へ。
華やかだった四日市祭も、昭和20年(1945)の四日市空襲により「大山車」や「」のほとんどを焼失します。戦後、舞獅子やいくつかの邌が復活され、昭和30年代半ばには賑やかさを取り戻したかに見えましたが、昭和44年からネリの奉納が途絶えて舞獅子だけが奉納されるようになり、さらに49年の四日市大水害でその年の奉納行事が中止となったことが契機になり、翌年からは大幟と提灯の奉納と祭典のみが執り行われるだけとなってしまいました。
一方で、昭和39年から始まった市民イベントである「大四日市まつり」へ、「大入道」「鯨船」「大名行列」「舞獅子」などが請われて出演するようになり、四日市祭の面影は大四日市まつりで偲ぶだけとなった感がありました。
 


現在の状況

境内に練り込んだからくり山車。
伝統的な祭礼を復活させようと、平成9年に「秋の四日市祭」が「四日市祭」の日程に合わせて当社周辺の崇敬者のみなさまのお力で開催され、ネリや舞獅子などの奉納行事を復活していただきました。「秋の四日市祭」とされたのは、市民のみなさんには、8月初旬に開催されます「大四日市まつり」の印象が強いため「秋の・・・」とされたそうです。
その後も10月第1日曜とその前日に「秋の四日市祭」は催されるようになり、そして平成14年の鎮座800年記念の年には、当社の例大祭を10月第1日曜日に変更し、以後、「四日市祭」と「秋の四日市祭」が併催するかたちで、昔ながらの風情を取り戻しつつあります。
現在行なわれている奉納行事には、戦前からの流れを汲む「大入道」「鯨船・明神丸」「大名行列」「富士の巻狩り」「菅公」「岩戸山」「甕破り」「鯨船・勢州組」「浜田舞獅子」「南浜田舞獅子」「西町神輿(平成14年を最後に休止中)」と「新正町獅子舞」「諏訪太鼓」「御諏訪神輿」があり、天領四日市町衆の伝統と文化を感じる祭典が繰り広げられます。また「大四日市まつり」へも毎年いくつかが出演しておられます。
※祭礼の日程や奉納される行事は年によって変わりますので、そのつどお問い合わせください。
 



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