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大入道【中納屋町】(県指定有形民俗文化財)
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日本一大きなからくり人形
江戸時代後期の文化2年(1805)に製作されたといわれ、明治初期には現在の形式が整ったといわれています。身の丈4.5m、伸び縮みする首の長さ2.7m、高さ1.8mの山車に立ち、全高9m。からくり人形では日本一の大きさといわれ、四日市のシンボル的存在です。
旧・桶之町(現在の中納屋町)がオケにちなんで大化、つまり化け物のネリを考案し、次第に大型化・巧化したものと考えられており、首の曲がりには鯨の髭がバネとして使われています。また、町に棲み悪事をはたらくタヌキを退散させるため、すごみのきく大きなお化けを作ったのが大入道の始まりという民話も伝わっています。


鯨船・明神丸【南納屋町】(国選択無形民俗文化財)(県指定有形民俗文化財)
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絢爛豪華な船山車が勇壮に練る
金箔張りの彫刻と幕で飾られた絢爛豪華な全長約9mの船山車とハリボテの鯨で、捕鯨のようすを表した行事。古くは安永年間(1772~1781)の記録に「鯨つき」と見え、戦災により裸船は焼失しましたが、幕末の画家、森赤菌が下絵を描き瀬川篁村が彫る舷の彫刻や綴錦の旗印、二見の夫婦岩が縫いこまれた胴幕など、飾り物一式は疎開で戦災を免れ、昭和22年に再建されました。
太鼓が響き、情緒ある舟唄が趣を添え、船は鯨を追って前進、後退しながら動き、船の上の艶やかな少年たちとあいまって、勇壮な一大絵巻を繰り広げられます。奉納の演技は街中でのものと異なり、拝殿正面に舳先を乗り入れて鯨を仕留めます。


大名行列【旧・比丘尼町(元町1区)】(市指定無形民俗文化財)
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東海道四日市宿の面影
江戸時代に東海道の宿場町として栄えた四日市には、参勤交代の行列を手助けする人馬が存在したことから、その人たちが多く住まいした、旧・比丘尼町と旧・久六町が、そのようすを再現して奉納したのが始まりとされています。明治末期にすでに、古式にのっとった形式が全国的に高く評価されています。
現在は旧・比丘尼町(元町1区)の下りの大名行列が受け継がれており、町印の看板を先頭に、挟み箱、白長柄槍、台傘、立傘、大鳥毛、黒長柄槍、駕籠と続き、「ヒーサーヒー」の掛け声とともに、奴が道具類を投げ渡すところが見どころです。

富士の巻狩り【南浜田町】(市指定無形民俗文化財)
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古風なままの時代絵巻

源頼朝公が富士の裾野で催した巻狩りを、仮装行列で再現した総勢150名に及ぶ風流。法螺貝・銅鑼・太鼓を鳴らし、体長約5mの大猪をはじめとするハリボテの動物が逃げまわり、子どもが扮した武者が弓を射、練り込んだ神社拝殿前で頼朝公が槍を突いて大猪を仕留めます。
四日市祭のネリの中で最も古い形式を伝えるものとされ、安永年間(1772~1781)や、江戸時代の画家・司馬江漢が書きとめた「江漢西游日記」の天明8年(1788)の項にも記録が残っています。南浜田町は舞獅子も伝承をしており、この町が戦火を逃れたため、子ども武者たちの豪華な衣装などの道具類は、昔のままに受け継がれています。


菅公【旧・新丁(新町・新々町・新町1区)】
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みごとに書をしたためる
学問の神さま菅原道真公と2体の子どものからくり人形が、精巧な演技を行います。子どもが持つ額に、もうひとりが筆で書をしたためます。それを見た菅公がほめると、子どもたちが喜び踊るというもの。何の文字を書くのか、想像と期待に胸が躍ります。
学問の尊さを伝えようと、旧・新丁の町衆によって明治初期に作られましたが、昭和20年の空襲で焼失。昭和22年に山車が再建され、その後、昭和27年に人形師七代目玉屋庄兵衛の手によってからくり人形も再現。さらに平成2年には八代目庄兵衛によって、前木偶が焼失前の稚児の姿に改められました。


岩戸山【本町通商店街】
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奇想天外な早替わり
天照大神(アマテラスオオミカミ)がお隠れになった天の岩戸の前で踊った天宇豆売命(アメノウズメノミコト)を題材にしたたからくり山車。ウズメノミコトに化けて踊っていたタヌキが、大きな鉦鼓の音に驚いて正体を現し、腹鼓をうちながら睾丸をふくらませるというユニークな演技と、一瞬の早変わりが見どころ。
旧・蔵町の人たちによって幕末から明治初期の頃(明治14年には存在が確認)につくられましたが、戦災で焼失。昭和63年に本町通り商店街の人たちによって、ほぼ手づくりで復元され、幕や彫刻、装飾品なども次第に整えられています。


甕破り【四日市商店連合会】
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命の尊さ教える離れからくり
中国・宋時代の政治家である司馬温公が、高価だった甕を割って中に落ちた子どもを救い出したという、命の尊さを説いた逸話「破甕救児」のようすを再現したからくり人形山車。甕の外側にいた子どもが、甕に上がり太鼓を打ち、その後、甕の中に真っ逆さまに落ちます。下から操る人形が、甕の外、上、中、そしてまた外と、自由に動き回る「はなれからくり」の妙技が見どころです。
旧・西中町(現在の中部)の町衆によって明治26年に作られましたが、昭和20年の空襲で焼失。平成2年に人形師八代目玉屋庄兵衛の手によってからくり人形が再現され、彩色の山車彫刻なども次第に整えられています。


諏訪太鼓【四日市諏訪太鼓振興会】
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鎮座の昔に思いをはせて
信州諏訪での御諏訪太鼓の演奏に感銘を受けた四日市の商店街有志が、当時行われていた「四日市みなとまつり」(「大四日市まつり」の前身)を盛り上げるために、信州の御諏訪太鼓宗家である小口大八氏に師事し、昭和35年に初めて四日市で演奏したのが始まりです。
「飛竜三段返し」「鈴鹿雷神」など十数曲があり、今では地区子ども会、有志、企業などが母体となる40近くの団体が活動し、市民に親しまれる郷土芸能として定着しています。
鎮座当時のむかしを偲びながら、勇壮かつ荘厳に諏訪太鼓は演奏されます。


御諏訪神輿【御諏訪神輿保存会】
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諏訪神社お膝元町衆の心意気
当社近くの商店街有志のみなさんが、昭和56年に「大四日市まつり」の出し物として、それまでの阿波踊りに代え神輿行列を企画。昭和59年に、大(約210㎏)小(約56㎏)の関西風神輿と子ども神輿を製作され、誰言うとなく御諏訪神輿と名付けられました。
東京の三社祭りを手本に江戸神輿の所作を学ばれ、地元の人たちだけではなく、一般募集の祭り好きな担ぎ手も多く参加されて、毎年大変な盛り上がりをみせています。
奉納行事が途絶えていた四日市祭を再興しようとの機運を作られ、ネリのひとつの町神輿として奉納されています。


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