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「武」と「文」にたける二神を祀り申し上げております。



信州諏訪に鎮まります諏訪大社は、諏訪湖南側の上社に本宮・前宮の2宮、北側の下社に春宮・秋宮の2宮があり、祭神に上社が建御名方命(タケミナカタノミコト)と八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)、下社は上社の2柱の他に八重事代主命(ヤエコトシロヌシノミコト)をお祀りしております。
当社は諏訪大社のご分霊を奉遷したものといわれ、ご祭神は建御名方命と八重事代主命の2柱です。(「伊勢参宮名所図会」(寛政9年(1797))には建御名方命と八坂刀売命とありますが、社伝とは異なります。)両神はご兄弟神であり、記紀神話における国譲りにおいて大きな役割を果たされています。
建御名方命は行動力に優れた神であり、八重事代主命は言霊を司る神とされております。ものごとを切り開くときには、「行動」(武)と「言魂」(文)がともなうことが何よりも大切です。このことを兼ね備えた両神のご神威が、当社に対しましての深い信仰の礎になっておりますことは申すに及びません。


建御名方命 タケミナカタノミコト
(別称:武南方神、諏訪神)
建御名方命は、大国主命(オオクニヌシノミコト)の御子で、八重事代主命の弟です。国譲り神話において、父の大国主命が高天原(タカマガハラ)の天照大神(アマテラスオオミカミ)から国の禅譲を迫られたとき、これに最後まで抵抗したのが建御名方命でした。剛力無双の神として知られていましたが、国を譲られて出雲から信濃の諏訪湖あたりに移り、その後、諏訪に定住して開拓を始められます。そのおりに害獣を退治したり、農耕・養蚕の業を広めたりされたので、「お諏訪さま」と呼ばれて、耕作の神、五穀豊穣の神としてだけでなく、狩猟の神、また武神としても崇敬を集められました。ことに神功皇后の新羅遠征のときの活動、坂上田村麻呂の東征守護、元寇のとき龍神としてのご神威の発揚などの話が広く伝わり、鎌倉時代以降は八幡神と並んで霊験あらたかな軍神として大いに崇敬され、全国各地に諏訪信仰が広まり、諏訪神社が祀られるようになりました。
当社もそのひとつであり、社伝によれば鎌倉時代初期にこの地に勧請されたとされております。また歴史的にも、戦国乱世の頃に当地を治めた田原家が、武神として、一族とともに分祀創建したのではないかといわれております。


八重事代主命 ヤエコトシロヌシノミコト
(別称:事代主神、積羽八重(ツミハヤエ)事代主神、恵比寿大神、一言主神)
八重事代主命は、豊漁、海上安全守護の神、またえびす信仰の福神とされ商業神とされております。もともとは、出雲の美保神社(島根県美保関町)周辺地域の海から寄り来たとされる神であり、はじめは漁民や航海関係者から、豊漁をもたらす神、航海の安全を守護する神として信仰されてまいりました。八重事代主命が釣りをしていたという神話のエピソードから、釣り竿を持ち鯛を小脇に抱えた姿を七福神のえびすに重ね合わせ、やがて同一視されるようになったといわれています。
当社が古くより商業者の皆さまから「諏訪恵比須」として商業振興の崇敬を集めてまいりましたのは、八重事代主命のご神威と、えびすと同一神と考えられたことによるものです。
また、記紀神話で八重事代主命は、託宣神として活躍されております。託宣とは神の言葉を伝えることであり、「事代」を「言(言霊)を司る」という意味にとらえて、言霊の神格化である一言主神(ヒトコトヌシノカミ)と同一神とされることもあるようです。神話では、出雲国の支配者である大国主命の御子として弟の建御名方命とともに国譲りの話に登場します。このとき、八重事代主命は託宣によって国譲りを認めますが、建御名方命は最後まで抵抗し信濃の国へ逃れることになります。

乱世には為政者から武神としてのご神威が崇拝され、やがて世の中が平穏を取り戻すと、開発・開拓の神として、商業・海運業・農業・漁業などさまざまに、町衆から崇拝されるようになったようです。
このように、四日市の町の特質とその歩みとともに、諏訪神社があったことがわかります。